imura

インカの目覚めを販売します。


今年は、豊作でした。
200キロほど在庫が残ったので
5キロ3500円(送料込み)で販売させていただきます。
お申し込みは、メールに①~⑤を明記して
imuranouen@okinoerabu.com までお申し込みお願いします。

①お名前
②郵便番号
③ご住所
④電話番号
⑤ジャガイモの種類とキロ数

インカの目覚め
5㌔:3500円(送料込み)

宜しくお願いします。  伊村農園 伊村達児

今年の収穫がいよいよ始まった。
 昨年は雨が続き、収穫は苦労の連続であった。
 本来ならば、4月中に収穫を終了する予定が、1ヶ月を超えて6月も半ばを超えた。そして6月18日の夜、私は心不全で、倒れた。夜中に緊急ヘリで沖縄に輸送され、緊急手術。翌日の夕方、目が覚めると集中治療室で酸素マスクをして寝ていた。兄弟が東京から沖縄に駆け付けていた。約3週間の入院の後、ひとまず、沖永良部島に戻った。それから1ヶ月半後、再び手術台に上った。カテーテルによる治療のために。完治することを切に願って。ただし、運命は冷酷だった。心不全の症状は完治したが、手術による後遺症で脈拍が40~50の徐脈。階段を上るのもままならない。このままでは農業もできない。9月上旬、再び手術を行った。ペースメーカーを埋め込む。
 今年のジャガイモ栽培がどうなるかわからない不安と恐怖があった。
今、以前ほど体は動かないが、いよいよ収穫できるという喜びがある。今年は例年になく豊作のようである。天からのご褒美であろう。
収穫初日、お祓いをしていただいた。伊村農園で働く皆さんの健康と安全を切に願い、無事収穫を終えることができるように。

今日の新聞に掲載された歌詞。

「世紀の嵐吹きすさみ

故山の草木形変え

千歳の伝統うつろいて

古(ふり)ぬる跡も今はなし」

1949年に書かれた沖縄県立那覇高校の校歌。
歌詞は、5番まであり、那覇高校の校名が歌詞に登場するのは、4番。
2番、3番では戦争が終わり、荒野と廃墟の中で、若者たちがたくましく、復興へ向かう思いが描かれている。

 言葉は、時に、人の中で、魂を持ち生き続ける。

この歌詞を書いた初代校長の思いは、半世紀以上の時を超えて今もなお、
若者の心に新しい魂を育み続けている。

6月23日は、沖縄県では、昭和20年の沖縄戦終戦の日。戦争で命を落とした多くの県民を慰霊する日である。

 電通を退職してそろそろ4年が経とうとしています。
 農業を始めて3年半が過ぎました。住む土地が変わり、生活が変わり、環境が変わり、共に働く人が変わり、共にお酒を酌み交わすメンバーも変わりました。
 電通に入社して間もないころ、高橋英樹さんと初めてお仕事をさせていただきました。1995年の初夏、私の在籍するチームとの仕事が始まり、私は入社3年目、CMを制作するチームでは当然最年少の未熟な営業社員です。撮影現場では、そんな若輩者の私に対しても、同じ視線で私に声をかけていただきました。時代劇やドラマ等、テレビでしか拝見したことがない英樹さんと、直接お会いし、お話しすることに緊張したことを思い出します。
 そのチームでの私の仕事は、営業を離れる2010年10月まで継続しました。様々な厳しい状況はあったもののチームの現場は、緊張の中にもいい雰囲気での仕事に終始しました。クライアントと制作スタッフと営業、その中心に分け隔てなくお話をされる英樹さんがいらっしゃいました。
 私が営業を離れるとき、約8年間お仕事をさせていただいたお礼の挨拶を電話でさせていただくと、「東京に来る機会はない?東京まで来てください」高橋英樹夫妻と事務所のスタッフの皆様で、品川にあるホテルで送別会をしていただきました。まだ10年目の役職も付いていないヒラ社員の私には、本当にもったいない送別会、でも「代理店マン、冥利に尽きる」送別会となりました。

 それから7年後、故郷に戻る決心をし、電通を退職しました。沖永良部島に戻り、ジャガイモ栽培をはじめました。営業当時、一緒に仕事をさせていただいた方が、私のジャガイモのことを英樹さんにお話しいただき、メールを頂きました。今年も高橋英樹さんのお客さまに伊村農園のジャガイモを送らせていただいています。
 そして今年5月、英樹さんからご紹介いただいた銀座のお店で沖永良部島産・伊村農園のジャガイモを5月のメニューの一つとして料理していただきました。
 銀座の「京料理 壬生」。申し訳ないのですが、今回ご紹介いただくまで知らなかったお店ですが、調べてみると料理人石田廣義氏は『ただ純粋に、料理を愛し、食材との真剣勝負をしてきた・・・』。日本を代表する料理人の一人です。英樹さんの奥様から送られてきた写真には、洗練され、美しく調理されたジャガイモが写っています。
 沖永良部島に生まれたジャガイモも、銀座に出てさぞかし驚き、喜びもひとしおだったことでしょう。


※天豆(空豆)、かんぴょう、白ずいき、そして麺かと思うじゃが芋です。☆

 壬生の女将、石田登美子さんとは、お電話で何度かお話しさせていただきました。もし私の歩いてきた道がちょっとでも脇道にそれていたら、繋がらなかった電話です。

 あれから19年、そこには仕事とか、それぞれの立場とか、肩書とかいろいろなものがあったのですが、こうしてつながったのは、きっと人と人のつながりだったような気がします。この温かなつながりを続けていただいた英樹さん、輝さん、スタッフの皆様に感謝し、これからもこのつながりを大切にしていきたいと思います。

 そして、その関係をつなぐ美味しいジャガイモ作りを頑張りたいと思います。 

 ありがとうございます。 伊村農園 伊村達児

 先月、久しぶりに東京を訪れた。
沖永良部島を出発したのは午後5時、羽田空港には8時半頃、途中の駅近くで東京のラーメンを食べた。広告代理店で働いていた時によく通った道だ。懐かしい。
 ホテルにチェックインして、遅い時間だったが、ホテルのバーで一杯飲むことにした。
客は一組だけ、こじんまりしたバーだった。入ると、そろそろ閉店です、一杯だけならば、ということで入れてもらった。島に戻り、ほとんどが黒糖焼酎、久しぶりに洋酒を頂くことにした。マッカラン12年、農家としては、だいぶ背伸びをした。閉店時間を過ぎると、客は僕だけになった。カウンター越しに、バーのマスターとの会話を楽しみ、お願いしてもう一杯頂き、リラックスした小一時間を過ごした。  
 次の日の夜、一次会も終わり、一人新橋駅の近くのバー行った。残念ながらバーは閉店していた。そういえば、もう4,5年ぶりになるだろうか?落ち着いた雰囲気で、酒好きにはたまらないバーだったのに、残念だ。仕方なく、ホテルに戻り、また一杯だけのつもりでバーに行った。バーのカウンターには、昨日のマスターは不在で、若い方が、切り盛りしていた。きっと今日はお休みの日だろうと思いながら、昨日と同じ、マッカランのロックを注文した。すると、カウンターの後ろから、「伊村様」と声をかけられた。しかしながら、見覚えがない。「今日もお越しいただきまして有難うございます。ジャガイモ農家の伊村様ですね、昨日のバーの担当のA氏は、今日はお休みです。もし、伊村様が来られたら、不在で申し訳ない旨をお伝えください、昨日は、いろいろお話を聞かせていただいて楽しかったです。有難うございます、とのことです」。挨拶されたその方は、フロアーのマネージャーの方でした。何かホッとした気分になった。その気遣いに感動を覚えた。また、東京に来たときは、このバーで、マッカランのロックを一杯飲もう。

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